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傍論という暴論

傍論は裁判官の個人的見解だから無視しましょう。

大阪高裁判決の傍論に見る暴論 日本人の原宗教意識を全く無視

傍論(裁判官の個人的意見)において、国(首相)が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長し、憲法が禁止する宗教的活動を行った憲法違反であるとした。

 しかし、「特定宗教における宗教的活動」とは、いったい何のことであろうか。具体的には「靖国神社(神道)における参拝(慰霊)」を意味する。これは、果たして特殊な行為なのであろうか。

傍論のような単純な解釈によれば、陛下の護国神社(全国五十二社)への幣帛(へいはく)料や国公営病院の霊安室における法軸(名号「南無阿弥陀仏」を記したものなど)・焼香台の設営や公営墓地の建設はもとより、首相の千鳥が淵墓苑や伊勢神宮の参拝や刑務所の囚人に対する宗教者(僧侶や神父や牧師など)の説教などすべて違憲となるではないか。

普段、宗教について深く考えたこともなく、また特定の宗教を信仰しているわけでもない私でも、神道が宗教と言うよりは風習や習慣に近いもの、日本人の生活に根ざしたものだと思う。仏教にしても、神仏習合という言葉があるように神道を取り入れたような日本式の仏教になっている。だから神社を「特定宗教」というのには違和感がある。

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コメント

見栄っ張りでねつ造記事を書いた新聞記者と同じで、変わった判決で目立とうとしてるように思える裁判官もいるよね。

裁判官にもおかしなのがいるもんねえ。
でも「判決」じゃないから無視ってことで。

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